キングメイカーの権勢がしのばれるウォリック城

歴史、薔薇王キャラとの関わり

1068年にウィリアム征服王によって建築され、1088年以降代々のウォリック伯の領地となった

 

薔薇王ウォリック(第16代ウォリック伯リチャード・ネヴィル)の居城で、彼の娘たちアンとイザベルもここで生まれた
この城の威容を見ると彼がいかに裕福な実力者だったかかがしのばれる


ウォリックがバーネットの戦いで討ち取られた後、彼の莫大な所領の帰趨が問題となった
娘婿クラレンス公ジョージ・プランタジネットが相続したが彼が1478年に処刑された後は当時2歳の息子エドワード(第17代ウォリック伯)に引き継がれたが、まだ幼かったため王室の管理下に置かれていた
リチャードは1480年代初頭にベア・タワーとクラレンス・タワーの建設を始めたが未完成のまま亡くなった。

 

1469年にウォリックとジョージが反乱を起こした際に、捕らえられたエドワード4世は当初ウォリック城に監禁され、その後ミドラム城に移送された

Warwick Castle

Warwick Castle
キングメイカー ウォリック

Warwick Castle

ウォリックについては特別に別棟に展示館が設けられている

バーネットの戦いに赴くウォリックの蝋人形

バーネットの戦いに赴くウォリックの蝋人形

ウォリックの紋章

薔薇王に描かれているようなウォリックの紋章を付けた兵士たち

Warwick Castle

ウォリックの家系図

中央右がウォリック夫妻

(左から)エドワード王子、アン、ジョージ、イザベル
展示

蝋人形館"マダムタッソー"でお馴染みのタッソー・グループが保有していた時期もあったためか、城内には多くの蝋人形が展示されている

テーマパーク的に各所に台詞やナレーションが流れる凝った展示


甲冑や剣等、中世の武具が大量に展示されている
天蓋付きベッドなど豪華な家具も残っている

18世紀のグレヴィル家の時代に完成したグレート・ホール

Warwick Castle

Warwick Castle

Warwick Castle

プランタジネットの紋章

ネヴィル家の紋章

ド・ビーチャムの紋章

 

蝋人形

Warwick Castle

Warwick Castle

Warwick Castle

Warwick Castle

Warwick Castle

Warwick Castle

城内のチャペル
眺めのいいポイント

本館の向かいにある塔に登れるようになっており、見晴らしの良い眺めが楽しめる

Warwick Castle
テューダー朝との関わり

第2期初代ウォリック伯(後の初代ノーサンバランド公)ジョン・ダドリーは、サマセット公エドワード・シーモア(エドワード6世の伯父)を反逆罪で処刑、息子ギルバートをジェーン・グレイと結婚させる "9日間の女王"として知られる悲劇のプリンセス
もう一人の息子ロバート・ダドリーはのちにエリザベス一世の寵臣(愛人)となる

 

ヘンリー8世と6人の妻の蝋人形や、ヘンリー8世の肖像画

ヘンリー8世と6人の妻の蝋人形

Warwick Castle

ヘンリー8世の肖像画

ダドリー家の紋章

ショップ

紋章グッズ多数…ポストカード(1枚2.50ポンド)、しおり、キーホルダー等
普通のポストカードは1枚1.00ポンド
リチャードのオーナメント14.00ポンド
Mead(蜂蜜酒)の試飲を勧めてくれた
マーマレードやジャム
子供用のコスプレ武具 

リチャードのオーナメント

Warwick Castle
イベント

猛禽類のショー「The Falconer's Quest」、馬上槍試合や大型投石器を始めとする薔薇戦争イベント、歴史トークショー、花火、カッスルダンジョン等、さまざまな催しが用意されている


この日は毎日開催されているという「The Falconer's Quest」を観た
こちらではイギリスで一番多くの猛禽類を買っているそうだ
ハゲワシ、メンフクロウ、ファルコン、ペレグリンホーク…
低空飛行するようにしつけられているのか、観客の頭上スレスレに飛んでくるのがスリリング
最後はたくさんの鳥が一斉に空を舞って盛り上がった

The Falconer's Quest

The Falconer's Quest

The Falconer's Quest

最後はたくさんの鳥が一斉に空を舞って盛り上がった

外から城が見えるview point

*Public Viewpoint Warwick Castle
12 Banbury Rd, Warwick CV34 6PB
エイヴォン川越しの姿が美しい

*view from 43 Mill St, Warwick CV34 4HB 

所在地

Warwick Castle
Warwick, Warwickshire, England CV34 6AH

参考ウェブサイト

当日券はかなり高価
事前予約購入で割引に

www.warwick-castle.com

en.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

地図

収録コミックス

エドワードがウォリックに監禁される場面

 

代々のウォリック伯爵家当主が埋葬されている教会、リチャードを貶めた歴史家

Collegiate Church of St Mary

ウォリック城から徒歩圏内にある12世紀に建造された教会で、ウォリック伯爵家の当主のほとんどは代々ここに埋葬されている(薔薇王ウォリックは別)

Collegiate Church of St Mary



Collegiate Church of St Mary 入口側

Collegiate Church of St Mary

Collegiate Church of St Mary
ビーチャムチャペル

15世紀のビーチャムチャペルBeauchamp Chapelにはウォリック家の紋章(熊、木の枝等)が掲げられている

Beauchamp Chapel

Beauchamp Chapel

Beauchamp Chapel

 

テューダー朝との関わり

エリザベス1世の寵臣(愛人)レスター伯ロバート・ダドリーとその妻レティス・ノリスも埋葬されている
レティスとの結婚は女王を激怒させた


ロバートの弟アンブローズ・ダドリー、ヘンリー8世妃キャサリン・パーの弟の墓もある

レスター伯ロバート・ダドリーとその妻レティス・ノリスの墓

レスター伯ロバート・ダドリーとその妻レティス・ノリス

ヘンリー8世妃キャサリン・パーの弟の墓


所在地

Collegiate Church of St Mary, Warwick
Old Square, Warwick, Warwickshire, England CV34 4RA

参考ウェブサイト

www.stmaryswarwick.org.uk

en.wikipedia.org

地図

リチャードを貶めた歴史家ジョン・ラウス

ジョン・ラウスJohn Rousはウォリック伯未亡人アン・ビーチャム(アンとイザベルの母)が創設したGuy’s Cliffeの礼拝堂付司祭かつ歴史家で、死後この教会に埋葬された
リチャードの治世には彼を称賛するを書いておきながらリッチモンドが王位を簒奪すると豹変、リチャードを貶める内容に書き直した、時の権力におもねった人物

 

リチャードの生前に著した歴史書『ラウス・ロールRous Roll』では庶民の抑圧者を罰した善良な領主として「神からは感謝され、領地の人々から大いに愛された」と称賛


リッチモンドが王位を簒奪した後に書いた『英国王の歴史Historia Regum Angliae』では一転して「リチャードは母親の胎内に2年間いて生まれたときは既に歯も肩に届くほどの髪も生えていた。小柄、顔が短い、右が高く左が低い不均等な肩。サソリのように滑らかな表面と棘のある尾を併せ持つ」と謂れのない誹謗中傷を。ラウスはヘンリー6世の暗殺、妻アン・ネヴィルの毒殺、アンの母の監禁、2王子の虐殺も全てリチャードが行ったことで、悪逆の限りを尽くした残酷な人物と主張している。
※当時生まれたときから歯が生えていた赤ちゃんはその家に不幸をもたらすと信じられていたため

「歯はすべて生え揃っていた
すぐにでも人を噛み殺しに行く為だ!」薔薇王第29話(7巻)


南東のクワイヤに記念のプラーク(銘板)があるが、これについては探し出すのに苦労した
案内係の方やショップの店員さんなど3人の方にジョン・ラウスの銘板の場所を尋ねたが「有名な人物だが1694年の火事で墓が焼失しメモリアル的なものは消失してしまったと思う」と言われてしまった
諦めきれず彼が埋葬されたという記録がある南東のクワイヤの床を目を皿のようにして探し回ったら小さな銘板を発見!
集まって頂いた方々も「WOW! こんなところにあったなんて!良かったね!」と一緒に喜んでくれた(感謝)

John Rousの銘板

この位置に銘板がある

参考ウェブサイト

en.wikipedia.org

richard-iii-of-england.fandom.com

sparkypus.com



ヘンリー、リチャード、エレノア、リッチモンド…王室とのゆかり深いケニルワース城

ノルマン・コンクエストの時代に建てられた城で、王族と深い繋がりがあり歴史的にも重要な城
現在は廃墟となっており、ウォリック城にも比較的近い

Kenilworth Castle

Kenilworth Castle

B4103道路側からの眺め

B4103道路側からの眺め
薔薇王キャラに関係するエピソード

●原案『ヘンリー六世 第二部』第4幕第4場、叛乱の首謀者ジャック・ケイドが王宮に向かっているのを知った初代バッキンガム公がヘンリー6世にケニルワースに戻るように勧める場面がある 第4幕第9場ヘンリーの嘆きの台詞もケニルワースでのこと

●マーガレット王妃はヘンリー6世が精神を病んだ後ここを軍事拠点の一つとした

●ロンドンから連れ出されたヘンリー6世が1456~1461年まで主に滞在した3つの城の内の一つ(他の2つはレスター城・タットベリー城)

●エレノア・コバム(グロスター公ハンフリー・オブ・ランカスター妃)が幽閉されていた

●リチャードも訪れていた

●リッチモンドは度々ここを訪れテニスコートを建設した

 

薔薇王以前のエピソード

●エドワード2世はここで廃位され(バークレイ城に移されるまで)幽閉されていた
ジョン・オブ・ゴーントはレスター城と共にここを居城としていた(ランカスターの祖、愛人キャサリン・スウィンフォードとの子供たちがボーフォート家となる)

●ヘンリー4世は父からこの城を相続し王室所有に戻した(ジョン・オブ・ゴーントの長男、リチャード2世から王位を簒奪した シェイクスピアの戯曲では"ボリングブルック"として登場)

●ヘンリー5世(薔薇王ヘンリーの父)が1414年にフランスからテニスボールを贈られて侮辱されたのはこの城にいた時のこと(シェイクスピアの戯曲にもテニスボールのエピソードが登場)

テューダー朝(薔薇王後)のエピソード

●エリザベス1世の寵臣レスター伯ロバート・ダドリーはここで盛大な宴を催し19日間に渡って女王を歓待した

所在地

Kenilworth castle
Castle Green, Off Castle Road, Kenilworth, Warwickshire, CV8 1NG

参考ウェブサイト

www.english-heritage.org.uk

en.wikipedia.org

lordofcastle.jimdofree.com

www.japanjournals.com

地図

バッキンガムが捕縛された屋敷

バッキンガムの捕縛

1483年10月、叛乱に失敗後身をやつして逃亡していたバッキンガムは1,000ポンドの懸賞金目当てで裏切ったRalph Bannisterによってシュロップシャーの高等法官Thomas Myttonに密告され、捕縛された
「その裏切り者の首をはねろ!」とまでは言わなかったが、リチャードは「これほど良い主人を裏切る者は他の誰に対しても不誠実だろう」と1,000ポンドどころか1ファージングも与えなかった

バッキンガムが捕縛された屋敷
裏切り者の末路

その後Ralph Bannister本人だけでなくその家族にも様々な災厄が降りかかったという記録がある


妻は彼を捨て軍の将校と駆け落ちした
借金返済のため財産は売却された
後継ぎ息子は発狂し麦粒腫で亡くなった
大変美しかった長女はひどいハンセン病に冒されたとも、カーター家の息子に妊娠させられた上その子供たちはろくでもない人生を送ったともいわれている
次男は手足が驚くほど変形しヨボヨボになった
その下の息子は小さな水たまりで首を絞められ溺死した


彼自身は殺人容疑で逮捕されたが高齢であったため聖職者によって救われたともスタフォードで公開処刑されたともいわれている

所在地

LACON HALL
Soulton Road, Wem, Shropshire, England SY4 5RP

 
現在はダンス教室などに利用されているらしい(入口が分からなかったので地元の人に聞いた)

参考ウェブサイト

en.wikipedia.org

soultonhall.co.uk

bjprojects.xara.hosting

地図

収録コミックス

 

シェイクスピア「お気に召すまま」ゆかりの地

Soulton Hall

Wemはシェイクスピア「お気に召すまま」と縁が深い
LACON HALLのすぐ近くにあるSoulton Hallには原作者Thomas Lodgeが住んでいた
ここはSir Rowland Hill(お気に召すままに登場する"Old Sir Rowland"のモデル)の屋敷で、現在ホテルとなっている

Wem

Wem

所在地

Soulton Hall
B5065 Soulton, Wem, Shropshire, England SY4 5RS

参考ウェブサイト

soultonhall.co.uk

en.wikipedia.org

地図

 

かつてリチャードも保有していた城で中世のバトル

Chirk Castle(Castell y Waun) 

Chirk Castle

1295年にエドワード1世による北ウェールズを取り囲む"アイアンリング"の一環としてロジャー・モーティマー・ド・チャークによって築かれて以降、700年の歴史を誇る由緒ある城
17世紀のロングギャラリーが見事で、ガーデンからはチェシャーとシュロップシャーの平原が眺められる

 

城主の変遷

ヘンリー・ボーフォート枢機卿(外伝に登場するウィンチェスター司教、ヘンリー6世の大叔父)

第3代サマセット公ヘンリー・ボーフォート(外伝サマセットの息子、バッキンガムの伯父タウトンの戦いに敗れた後ヘンリー6世夫妻と共にスコットランドへ逃亡)

リチャード
リチャードはこの城をSirウィリアム・スタンリーのヨークシャーの土地と交換した

Sirウィリアム・スタンリー(薔薇王スタンリーの弟、ボズワースではリッチモンド側に寝返ったが、後にパーキン・ウォーベックの乱に参加して斬首される)

写真

Chirk Castle

Chirk Castle

Chirk Castle

Chirk Castle

17世紀のロングギャラリー

Chirk Castle

ウェールズの郷土菓子が販売されている

Chirk Castle

 

 

中世の戦闘の再現

この日は敷地内でバトルが行われていた
戦闘開始時刻までは戦の準備をしたり、中世の扮装をしたラヴェンダー売りがいたり、天幕の下で肉を焼いて食べていたりと和やかな雰囲気だった
いざ始まると雄たけびを上げて行進、陣を構え、本格的な戦闘が開始された
ピュンピュンと矢が飛び交う中で斧や剣で斬りあう戦士たち

Chirk Castle

Chirk Castle

さあ今こそ剣を抜け!!

満月の如き弓を引き

軍馬と共に血の海へ

Chirk Castle

Chirk Castle

 

所在地

Chirk Castle(Castell y Waun) 
Chirk, Wrexham, Wales LL14 5AF

参考ウェブサイト

www.nationaltrust.org.uk

en.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

Chirk Castle

famouspastwords.wordpress.com

地図

リッチモンドがボズワースに向かう途中で泊った宿

パブHenry Tudor Inn(Henry Tudor House 1429)はボズワースに向かう途中にリッチモンドが宿泊した場所と言われている
シュルーズベリーでも最も古いハーフティンバー建築のひとつ

Henry Tudor Inn

Henry Tudor Inn

Henry Tudor Inn
所在地

Henry Tudor Inn(Henry Tudor House 1429)
Barracks Passage, Wyle Cop, Shrewsbury, Shropshire, England SY1 1XA

参考ウェブサイト

henrytudorinn.com

地図

 

甲冑を着たヨーク公の像、セヴァーン川に囲まれた町

父上の像

シュルーズベリーの中心にある広場に建つマーケットホール
その北側のメインアーチの上に甲冑を着たヨーク公の像がある
これは国内で唯一のヨーク公の像だとか

Shrewsbury

Shrewsbury

Shrewsbury

セヴァーン川に囲まれたシュルーズベリー

この町は第70話でリチャードとバッキンガムを隔てたセヴァーン川の上流にぐるりと囲まれている

Shrewsbury

エリス・ピーターズの小説に登場する有名なアビー



所在地

Old Market Hall, Shrewsbury
The Square, Shrewsbury, Shropshire, England SY1 1LH

参考ウェブサイト

en.wikipedia.org

www.oldmarkethall.co.uk

地図