史実リチャード&アンが子エドの訃報を知った城

Nottingham Castle

エドワード4世は1461年(18歳)にここで国王宣言し、彼から北部を任されたリチャードの軍隊もここを拠点としていた

ノッティンガム城は即位後もリチャードのお気に入りの城で、しばしばここに長期滞在していた


リチャードとアンが王太子エドワード・オブ・ミドラムが1484年4月9日に亡くなったという知らせを受けたのはこの城に滞在していた時(1484年3月17日~4月27日)で、一人息子を失った二人は悲嘆に暮れたという

リチャードがボズワースに出撃する前(1485年6月9日~8月19日)に滞在していたのもこの城で、レスターのBlue Boar Innに持ち込んだベッドもここから運んだものだったとか

neige1483.hateblo.jp

ノッティンガム城は一般的にはロビン・フッド物語に登場する宿敵"ノッティンガムの代官"の住まい、エドワード3世が母("フランスの雌狼"ことエドワード2世妃イザベル)と彼女の愛人ロジャー・モーティマーを捕らえた城として有名

 

所在地

Nottingham Castle
Lenton Rd, Nottingham NG1 6EL 

参考ウェブサイト

www.nottinghamcastle.org.uk

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richardiii.net

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地図

グロスター公ハンフリーが亡くなった街

グロスター公ハンフリーの暗殺?

ヘンリー6世の叔父、グロスター公ハンフリー・オブ・ランカスターHumphrey of Lancaster
ヨーク公やウォリックらと共に対仏抗戦派だった彼は、対仏和平派(王妃マーガレットやサフォークら)の工作によりベリー・セント・エドマンズBURY ST EDMUNDSのSt Saviours Hospitalへ行くよう命じられそこで逮捕される。その数日後の1447年2月23日に急死した(和平派に暗殺されたという説もある)

薔薇騎士ではサフォークの手にかかって落命する

「王妃と薔薇の騎士」3巻・エピソード10

 


薔薇王外伝『王妃と薔薇の騎士』では主人公のマーガレットに対抗する悪役として描かれていたが、「Good Duke Humphrey(善き公爵ハンフリー)」との異名をとるほど民衆にも人気があり、教養ある人物として知られている。彼が蝟集した書籍はハンフリー・ライブラリーとなり、後にオックスフォード大学ボドリアンライブラリーの基となった

 

ベリー・セント・エドマンズBURY ST EDMUNDSは9世紀にイーストアングリアの王エドマンドの埋葬地を中心に広がった歴史ある街

BURY ST EDMUNDS

BURY ST EDMUNDS
参考ウェブサイト

www.visit-burystedmunds.co.uk

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historicengland.org.uk

【この街の見どころ】

●セント・エドマンズベリー大聖堂St Edmundsbury Cathedral

1020年にベネディクト会修道院として創立された歴史ある大聖堂
ベンジャミン・ブリテンが「Fanfare for St Edmundsbury」を作曲した

St Edmundsbury Cathedral

St Edmundsbury Cathedral
所在地

St Edmundsbury Cathedral
Angel Hill, Bury Saint Edmunds, England IP33 1LS 

参考ウェブサイト

stedscathedral.org

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地図

●St. Mary's Church

リッチモンドとベスちゃんの娘(ヘンリー8世の妹)でフランス王妃となったメアリー・テューダーが、2番目の夫初代サフォーク公チャールズ・ブランドンと共に埋葬されている

St. Mary's Church

メアリー・テューダーの墓所

メアリー・テューダーと2番目の夫初代サフォーク公チャールズ・ブランドン
ふたりは9日女王ジェーン・グレイの祖父母


所在地

St. Mary's Church
Honey Hill, Bury St Edmunds, Bury Saint Edmunds IP33 1RT 

参考ウェブサイト

stmaryschurchbse.org

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エド兄夫妻やヘイスティングス、ヘンリーが眠るウィンザー城

ウィンザー

イギリス王室が所有するウィンザー城は、住居者がいるものとしては世界最大の城
テムズ川の対岸にヘンリー6世が創設したイートン校がある

聖ジョージ礼拝堂St. George’s Chapel 

聖ジョージ礼拝堂は王室専用の礼拝堂で、毎日の礼拝ではイギリス国王とガーター騎士団(=ガーター勲章受章者)のために祈りが捧げられている。内部の写真撮影は不可だが一般公開されている

聖ジョージ礼拝堂
聖ジョージ礼拝堂に埋葬されている人々

エドワード4世&エリザベス・ウッドヴィル夫妻(位置:North Quire Aisle)
エド兄の親友ヘイスティングス(位置:North Quire Aisle、エド兄の隣)
ヘンリー6世(位置:South Quire Aisle)

ヘイスティングスを処刑したリチャードが「兄上の傍に埋めてやれ」と気遣った通り(薔薇王12巻・第51話)、王族でもないのにヘイスティングスエドワードの隣に眠っている

 


ヘンリー6世は当初Chertsey Abbeyに埋葬されたが、1484年8月にリチャードが遺体をウィンザー城のセント・ジョージチャペルに移した

 

エドワードはヘンリーがイートン校に寄付した資産を取り上げたり、ヘンリーが創設したケンブリッジのキングスコレッジを建築途中のまま放置したり、それほど権威も無い場所に埋葬したりと徹底的におざなりに扱っていた(敵方の前王の扱いとしては仕方がないかもしれないが)。それを、リチャードの代になって建築を再開したり、王族のための礼拝堂に再埋葬したりと礼を尽くしているのは興味深い

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所在地

Windsor Castle
Windsor, Berkshire, SL4 1NJ

参考ウェブサイト

www.rct.uk

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https://www.stgeorges-windsor.org/

 

https://www.stgeorges-windsor.org/about-st-georges/royal-connection/royal-burials/royal-burials-chapel-location/

地図

イートン校とヘンリー、エド兄、そしてジェーン

Eton College
ヘンリー6世によって創設

1440年にヘンリー6世によって創設された英国屈指の名門パブリックスクール
ヘンリー6世は元々はイートンコレッジを70人の貧しい少年たちに無料で学問を施すために設立し、さらにイートンの卒業生のためにキングス・コレッジ(ケンブリッジ大学)を創設した。
構内にはヘンリーのブロンズ像がある

 

ヘンリー:「だから僕はこの国にその為の学校を作りたいんだ (中略)今そのひとつを建設中なんだ 今度一緒に見に行こう」
「薔薇王の葬列外伝 王妃と薔薇の騎士」第2巻収録 Ep.8より

collections.etoncollege.com

エドワード4世による処置

1461年のタウトンの戦いでランカスター側を撃破し王位についたエドワード4世は、議会でヘンリーがイートンに対して行った勅許や寄付を全て無効とし、1463年の11月までにはほとんどの資産や聖遺物・宝物を対岸のウィンザー城聖ジョージ礼拝堂に持ち去る決定をした

ジェーン・ショアとイートンの関わり

ジェーンがイートンを閉鎖の危機から守ったという言い伝えもあり、イートンには2枚のジェーンの肖像画が保管されている
彼女の幽霊が出るという噂もある

collections.etoncollege.com

Eton College

Eton College

イートン校のチャペルはキングス・コレッジ(ケンブリッジ大学)と瓜二つの美しいゴシック建築

neige1483.hateblo.jp

所在地

Eton College
Windsor, England SL4 6DB

参考ウェブサイト

www.etoncollege.com

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ウォリックの叛乱の際にリチャードが船出した街、シェイクスピアが舞台に立ったホール

●ウォリックの叛乱の際にリチャードが船出した街キングスリンKings Lynn

中世の時代、キングスリンKings Lynnはリヴァプールと並ぶ重要な港がある場所で、街全体が強固な要塞に囲われている
1470年10月ウォリックの叛乱の際にリチャードはここから船出してフランドル(在のベルギーとフランス北部にまたがる地方)に落ち延びた

King's Lynn Minster

King's Lynn Minster
所在地

King’s Lynn, Norfolk

参考ウェブサイト

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www.historic-uk.com

地図

シェイクスピア自身が舞台に立ったホール

15世紀初頭に建った英国に現存する中世のギルドホールとして最大のもので、シェイクスピアはペンブローク伯一座の一員として1593年にここで舞台に立ったとされている(当時ペストのためロンドンの劇場が閉鎖されていた)
ここはシェイクスピア自身が舞台に立ったと実証できる唯一の場所

St. George’s Guildhall
所在地

St. George’s Guildhall
29 King St, King's Lynn, Norfolk, England PE30 1HA 

参考ウェブサイト

www.nationaltrust.org.uk

地図

ノーサンバランドの居城、アニック城

ノーサンバランド伯の居城

アニック城は北部に基盤を持つ貴族ノーサンバランド伯の居城
ハワードと共にリチャードを支持していたノーサンバーランド。最後に彼がボズワースの戦いで自軍を動かさなかったことがリチャードの敗因のひとつとなった。
その後リッチモンドの重税に対する暴動が起きた際に、ノーサンバランドは暴徒によって殺害されており、これはリチャードを慕っていたヨークシャーの民による敵討ちとみる説もある

Alnwick Castle
アニック城:ホットスパーハリーポッター

1096年に建造開始された要塞が元になった中世の香りが残る古城
1309年からノーサンバランド伯爵パーシー家の所有となり、現在もノーサンバランド公爵家の住まいとなっている
薔薇王に登場するノーサンバランドは第4代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシー (1449–1489) のことだが、この家は代々「ヘンリー・パーシー」という名前が多いので要注意
シェイクスピアの戯曲『ヘンリー四世(第一部)』でハル王子(後のヘンリー5世)と対決する"ハリー・ホットスパー"ことヘンリー・パーシー(1364–1403、初代ノーサンバランド伯の息子) の銅像が城内にあった

アニック城は映画『ハリー・ポッター』シリーズでホグワーツ魔法魔術学校のロケ地として有名
つまりUSJに建っているホグワーツ城=薔薇王ノーサンバランドの居城と思って頂いてもいい

所在地

Alnwick Castle
Alnwick NE66 1NQ, England

参考ウェブサイト

www.alnwickcastle.com

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地図

サフォークが生まれた村、死出の旅に出た街

マーガレットが愛したサフォーク公ウィリアム・ド・ラ・ポールゆかりの場所

●サフォーク公ウィリアムが生まれた村

彼が生まれたコットンには14世紀の装飾がある中世の教会が佇む

Cotton

Cotton Parish Church, St Andrew's
所在地

Cotton Parish Church, St Andrew's
Church Rd, Stowmarket< Suffolk, England IP14 4QZ 

参考ウェブサイト

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www.suffolkchurches.co.uk

地図

●ウィリアム以外のド・ラ・ポール一族が眠る教会

ウィリアムの両親、息子夫婦、孫等、彼以外の親族は、ブラックプリンスに近しい支持者Sir John de Wingfieldの遺志により1362年に創設された由緒ある教会に眠っている


サフォーク伯Michael de la Pole(ウィリアムの父)とその妻Katherine de Stafford(初代バッキンガム公の伯母) 
サフォーク公John de la Pole(ウィリアムの息子)とその妻Elizabeth of York(リチャードの姉)、その息子リンカン伯John de la Pole(ウィリアムの孫、リチャードの後継者に指名されていた人物)

St Andrew church, Wingfield 

St Andrew church, Wingfield 

教会の向かいには
「ド・ラ・ポール・アームズ(The De La Pole Arms)」というパブがある
The De La Pole Arms
Church Road, Wingfield, Diss, Suffolk, England IP21 5RA

The De La Pole Arms

The De La Pole Arms
所在地

St Andrew church, Wingfield 
Church Road, Wingfield, Suffolk, England IP21 5RA 

参考ウェブサイト

www.wingfieldchurchsuffolk.org

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●追放されたサフォーク公が船出したイプスウィッチIpswich

イプスウィッチIpswichはサフォーク州の州都

追放されたサフォーク公ウィリアムはこの街の港から船でカレーを目指した
薔薇王外伝ではウォリックが差し向けた者の手にかかり、ドーバー海峡上で暗殺された

 

史実のジェームズ・ティレルはこのイプスウィッチ出身

Ipswich

Ipswichはウルジー枢機卿の出身地として知られる

Ipswich

この街はリッチモンドの次男に重用されたウルジー枢機卿の出身地として有名で、彼によって建てられたクライストチャーチマンションは現在美術館として公開されている(入場無料)

参考ウェブサイト

thefreelancehistorywriter.com

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Christchurch Mansion

ipswich.cimuseums.org.uk

地図

収録コミックス