リッチモンド&ベス夫妻が訪れた館…息子への愛が重い姑

オクスバラホールOxburgh Hallはエドワード4世を支持したSir Edmund Bedingfeldの館で、彼はリチャードの戴冠の際にバース騎士団に叙任されている
Bedingfeld家は代々カトリック信仰(近世以降のイギリスでは少数派)の王室派
リッチモンドは即位後に母マーガレット・ボーフォートと妃エリザベス・オブ・ヨークと共に訪問、夫妻が滞在した部屋は"The King’s room"、"The Queen’s Room"と名付けられた

 

インライで先生は「リッチモンドとベスのその後はほぼ史実通り」とおっしゃっていた
夫婦で臣下の家を訪問する際に母も同伴していたというエピソードに、ひとりっ子のリッチモンドに対する母の思い入れといささか重すぎる愛を感じていささか背筋が寒くなるのは気のせいだろうか
ベスを主人公にしたドラマ『ホワイト・プリンセス エリザベス・オブ・ヨーク物語(The White Princess)』でも、彼女が姑のマーガレット・ボーフォートに圧を掛けられているさまが描かれていた

Oxburgh Hall

Oxburgh Hall

息子への愛が重い姑
所在地

Oxburgh Hall
Oxborough, near Swaffham, Norfolk, England PE33 9PS

参考ウェブサイト

www.nationaltrust.org.uk

en.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

地図

エド兄の恋人ゆかりの城に残るリチャードの美しき廃墟

Sudeley Castle
エドワード重婚の根拠となった女性エレノア・バトラーゆかりの城

ヘンリー5世・ヘンリー6世に仕えたランカスター派の貴族Ralph Boteler(またはButler)によって12世紀の城跡に1443年から建造が始まった
城主Ralph Botelerの息子トマス・バトラー(1461年以前に死亡)の妻だったのが、エレノア・バトラーEleanor Butler(結婚前はエレノア・タルボットEleanor Talbot、1468年に死亡)
彼女は夫の死後エドワード4世と深い仲になり彼の子を出産していたともいわれている

エレノアは薔薇王第7話(2巻)でエドワード4世が「生きて戻ったら一緒になろう」と誓っていた女性
このことが婚約と見做され、後にエリザベス・ウッドヴィルとの結婚が無効である根拠とされた(当時は婚約が結婚と同様の効力を持つと考えられていた)


エレノアを「England's Secret Queen」とする展示が城内にある


※エレノアは初代シュルーズベリー伯ジョン・タルボットの娘
ジョン・タルボットは、シェイクピアの「ヘンリー六世 第1部」に登場する勇猛な武将トールボットのこと

「England's Secret Queen」エレノア

Sudeley Castle

エレノア・バトラー(タルボット)についてはこちらもご覧下さい

neige1483.hateblo.jp

エドワード4世・リチャードの所有となっていた時期

エドワード4世は1469年に城主Ralph Botelerから城を半ば無理やり買い取り、後に弟のリチャードに与えた
リチャードはテュークスベリーの戦いの際にここを軍事基地としている
現在美しい廃墟となっている有名なバンケティングホールはリチャードがを作らせたもの
リチャードの死後、リッチモンドは叔父のジャスパー・テューダー(バッキンガムの未亡人キャサリン・ウッドヴィルの再婚相手)に与えた

バンケティングホール

Sudeley Castle

Sudeley Castle

Sudeley Castle

Sudeley Castle

リチャードの像と剣

Sudeley Castle

Sudeley Castle

Sudeley Castleとリチャード

こんなところにブーンの白鳥Bohun Swan(バッキンガムの紋章)が

ヘンリー八世妃キャサリン・パーが眠る教会

ヘンリー八世最後の王妃キャサリン・パーは出産後36歳で身罷り、城内にあるセント・メアリー教会St. Mary's Churchに埋葬された。

St. Mary's Church

St. Mary's Church キャサリン・パーの墓所

ヘン8 の6人の妻たち

キャサリン・パーと"9日間の女王"ジェーン・グレイ

ショップで販売されていたヘンリー8世と6人の妻たちのオーナメント



所在地

Sudeley Castle
Winchcombe, Gloucestershire, GL54 5JD


参考ウェブサイト

sudeleycastle.co.uk

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地図

ヘンリーの父上が生まれたモンマス城

外伝にチラリと登場するヘンリー6世の父にしてグロスター公ハンフリーが慕う兄上、ヘンリー五世が生まれた城
ヘンリー5世は戯曲の中でも自分がウェールズ生まれであることに度々言及していた

現在は廃墟となっている

Monmouth Castle

Monmouth Castle

城の近くにあった、『ヘンリー5世』のクライマックス、アジンコートの戦いAGINCOURTにちなんだ通りの名前

「モンマス生まれのヘンリー」

原案にはこのような台詞がある

That Henry born at Monmouth should win all
And Henry born at Windsor lose all:

モンマス生まれのヘンリーはすべてを勝ち得、
ウィンザー生まれのヘンリーはすべてを失うだろう。
『ヘンリー6世 第一部』(第3幕1場)


モンマス生まれのヘンリー=ヘンリー5世
ウィンザー生まれのヘンリー=ヘンリー6世

父王が勝ち得たフランスの領土を息子のヘンリーは全て失ってしまった

所在地

Monmouth Castle
Castle Hill, Monmouth, Wales NP25 3BS 

参考ウェブサイト

cadw.gov.wales

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収録コミックス・書籍など

 

 

 

 

グロスター公夫人エレノア終焉の地

1452年7月7日、グロスター公夫人エレノア・コバムEleanor Cobhamはビューマリス城Beaumaris Castleで亡くなった(享年52歳頃)
※コブハムと記載されることが多いが正しい発音は「コバム」(映像作品でそのように発音されている)

 

エレノアはロンドンで公開悔悟の刑(民衆の前で裸足で歩かされた)後、終身刑を言い渡された。エレノアが民衆から同情を集めていたためチェスター城、ケニルワース城、マン島と転々と移送され、1449年にビューマリス城に移された3年後に亡くなった
『王妃と薔薇の騎士』ではマーガレットに敵対する悪役として描かれているが、シェイクスピアの原案ではむしろ王妃側に陥れられた悲劇的な役
※『ホロウクラウン』では映画『ロスト・キング』でフィリッパ・ラングレー役のサリー・ホーキンスが演じている

 

ビューマリス城はウェールズ北西部のアングルシー島にあり、「グウィネズエドワード1世の城郭と市壁」として世界遺産に登録されている

Beaumaris Castle

セントポール界隈で公開悔悟の刑が行われた (この寺院は後世に建てられたもの)
所在地

Beaumaris Castle
Castle St, Beaumaris, Isle of Anglesey, Wales LL58 8AP

参考ウェブサイト

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cadw.gov.wales

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地図

収録コミックス

 

 

 

 

 

"名も無きもの"としてひっそり生涯を終えたリチャードの息子?

■先生が語った"その後の子エド"

菅野先生は2024年2月のインライで「子エドのその後について、実在の人物で"この人"と思っている人がいる」
「ジェーンと子エドの"もしかしてのルート"については悲しい話だから言わない方がいいかもしれない
歴史を調べて"この人かも?"というのはあるかもしれない」とおっしゃっていた
※子エド=リチャードの王太子 エドワード・オブ・ミドラムのこと 

 

薔薇王73話では

「リチャードがもし戦で負ければなおのこと…
王の嫡子は処刑されるか一生牢に閉じ込められる運命…」

というアンの懇願で、子エドは亡くなったことにしてひそかに落ちのびた
※実際、一時期リチャードの後継者に指名されていたジョージの息子エドワードは一生ロンドン塔に幽閉され、リチャードの庶子(ジョン・オブ・グロスター)もリッチモンドに処刑されている

 

ちなみに子エドの世話係として一緒に王宮を去ったジェーンが「"新しい夫"までいただいてしまっては裏切れませんわ」と言って同伴していた男性は、史実ではリチャードの部下である法務長官(Solicitor General)トマス・ライノムThomas Lynom。
服役中だったジェーンは彼に見初められ再婚した

収録コミックス
 

 

■リチャード・オブ・イーストウェルRichard of Eastwell

先生が"この人"と思っている実在の人物、私は史実リチャードの庶子でボズワース後は王の息子であることを隠して"名も無きもの"としてひっそり生涯を終えたリチャード・オブ・イーストウェルではないかと推測している


本当の両親がだれか知らないままラテン語校長のもとに預けられていた彼は、ボズワース前に(当時16歳)父王と対面し、もし戦に勝てば彼を息子として認知する・負けたら永久に身分を隠して生きるようにと言われる


リチャードの敗戦後、逃亡した彼はレンガ職人の見習いに。その後は一介のレンガ職人としてケント州にあるイーストウェルマナーというお屋敷で働き、その地で1550年12月22日に生涯を閉じた


イーストウェルマナーの主人Sir Thomas Moyleは、リチャードが上流階級でなければ知るはずもないラテン語を解するのを知り、屋敷の敷地内にコテージを建てそこに住んでくれるよう頼んだ
このリチャードを、リチャード王の庶子とする説と、逃げのびた塔の中の二王子の弟リチャードであるという説がある

参考ウェブサイト

en.wikipedia.org

 

イーストウェルマナーChampneys Eastwell Manor Spa & Hotel

Richard of Eastwellがレンガ職人として働いていたお屋敷は現在ラクシャリーなカントリーホテルになっている

Eastwell

Eastwell
所在地

Champneys Eastwell Manor Spa & Hotel
Eastwell Park, Ashford, England TN25 4HR

参考ウェブサイト

www.champneys.com

地図

■Eastwell Mews Cottages(Plantagenet’s Cottage)

リチャード・オブ・イーストウェル(Richard Plantagenet)が自分の家として建てたと言われるコテージも前述のホテルの一部となっている

Eastwell

Eastwell
所在地

Eastwell Mews Cottages
Eastwell Mews, Boughton Lees, Ashford TN25 4HR 

地図

■リチャード・オブ・イーストウェル(Richard Plantagenet)が埋葬された教会

14世紀の教会の廃墟
リチャード・プランタジネットの名が記されたテーブル状のモニュメントはこの教会の敷地内にある

Eastwell

Eastwell

Eastwell
所在地

St Mary's Church
Eastwell, Ashford, England TN25 4JT 

参考ウェブサイト

friendsoffriendlesschurches.org.uk

www.allsaintsba.org.uk

地図

 

ケイツビーのモデルのひとり、ラヴェルの屋敷跡

2024年2月25日に開催して下さったインスタライブで最終回後のケイツビーについて質問を受けた菅野先生は、「ケイツビーは何人かを併せたキャラクターでほぼオリジナルに近いため史実通りの結末にはならない、史実のラヴェルのようになっていたかもしれない」と仰っていた
※史実のケイツビーはボズワースの三日後にレスターで斬首されている

ラヴェルはケイツビーやラトクリフ(原案に登場)と並んでリチャードの側近・腹心で、リチャードの死後もリッチモンドに対する反乱(ランバート・シムネルの乱、薔薇戦争最後の戦いと言われる"ストーク・フィールドの戦い")に加わり抵抗を続けた人物。この叛乱の首謀者はリンカーン伯ジョン・ド・ラ・ポール(サフォークの孫、リチャードの甥)

反乱が鎮圧された後は行方不明になっていたが、200年後に彼の屋敷だったミンスターラヴェルの隠し部屋で餓死した彼のものと思われる骨が発見された

リチャードも即位後北部巡幸中の1483年7月29日にこの屋敷にいたラヴェルを訪れている

現在は廃墟となっているが、そのピクチャレスクな眺めは人々を惹きつけてやまない

Minster Lovell

Minster Lovell

Minster Lovell

Minster Lovell

Minster Lovell

Minster Lovell
所在地

Minster Lovell, Witney, Oxfordshire, OX29 0RR

参考ウェブサイト

フランシス・ラヴェル(初代ラヴェル子爵)Francis Lovell

en.wikipedia.org

 

トーク・フィールドの戦い

ja.wikipedia.org

 

Minster Lovell

en.wikipedia.org

www.english-heritage.org.uk

 

地図

St Kenelm's Church,側から入って教会の脇を通っていくと分かりやすい

エドワード王子が落命した戦場(テュークスベリーの戦い)

エドワード王子が落命した戦場

「願いを
最後にひとつでいい
せめてお前の手で
お前のその手で終わりたい」


1471年5月4日 ヨークとランカスターの劇的な決戦の場となったテュークスベリーの戦い
この時エドワード王子は落命、マーガレット王妃は捕らえられた

 

テュークスベリーの戦い

テュークスベリーの戦い

テュークスベリーの戦い
所在地

Tewkesbury Battlefield
Bloody Meadow, Lincoln Green Lane, Tewkesbury, Gloucestershire, England GL20 5TU

ウェブサイト

ja.wikipedia.org

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地図

収録コミックス

 

戦いの前夜マーガレット王妃が泊まった宿

テュークスベリーの戦いの前夜、マーガレット・オブ・アンジューが泊まった宿は現在もパブとして残っている

Gupshill Manor
所在地

Gupshill Manor 
Gloucester Road, Tewkesbury, Gloucestershire, England GL20 5SG 

ウェブサイト

www.gupshillmanor.com

地図

収録コミックス