ケイツビーのモデルのひとり、ラヴェルの屋敷跡

2024年2月25日に開催して下さったインスタライブで最終回後のケイツビーについて質問を受けた菅野先生は、「ケイツビーは何人かを併せたキャラクターでほぼオリジナルに近いため史実通りの結末にはならない、史実のラヴェルのようになっていたかもしれない」と仰っていた
※史実のケイツビーはボズワースの三日後にレスターで斬首されている

ラヴェルはケイツビーやラトクリフ(原案に登場)と並んでリチャードの側近・腹心で、リチャードの死後もリッチモンドに対する反乱(ランバート・シムネルの乱、薔薇戦争最後の戦いと言われる"ストーク・フィールドの戦い")に加わり抵抗を続けた人物。この叛乱の首謀者はリンカーン伯ジョン・ド・ラ・ポール(サフォークの孫、リチャードの甥)

反乱が鎮圧された後は行方不明になっていたが、200年後に彼の屋敷だったミンスターラヴェルの隠し部屋で餓死した彼のものと思われる骨が発見された

リチャードも即位後北部巡幸中の1483年7月29日にこの屋敷にいたラヴェルを訪れている

現在は廃墟となっているが、そのピクチャレスクな眺めは人々を惹きつけてやまない

Minster Lovell

Minster Lovell

Minster Lovell

Minster Lovell

Minster Lovell

Minster Lovell
所在地

Minster Lovell, Witney, Oxfordshire, OX29 0RR

参考ウェブサイト

フランシス・ラヴェル(初代ラヴェル子爵)Francis Lovell

en.wikipedia.org

 

トーク・フィールドの戦い

ja.wikipedia.org

 

Minster Lovell

en.wikipedia.org

www.english-heritage.org.uk

 

地図

St Kenelm's Church,側から入って教会の脇を通っていくと分かりやすい