- ■先生が語った"その後の子エド"
- ■リチャード・オブ・イーストウェルRichard of Eastwell
- ■イーストウェルマナーChampneys Eastwell Manor Spa & Hotel
- ■Eastwell Mews Cottages(Plantagenet’s Cottage)
- ■リチャード・オブ・イーストウェル(Richard Plantagenet)が埋葬された教会
■先生が語った"その後の子エド"
菅野先生は2024年2月のインライで「子エドのその後について、実在の人物で"この人"と思っている人がいる」
「ジェーンと子エドの"もしかしてのルート"については悲しい話だから言わない方がいいかもしれない
歴史を調べて"この人かも?"というのはあるかもしれない」とおっしゃっていた
※子エド=リチャードの王太子 エドワード・オブ・ミドラムのこと
薔薇王73話では
「リチャードがもし戦で負ければなおのこと…
王の嫡子は処刑されるか一生牢に閉じ込められる運命…」
というアンの懇願で、子エドは亡くなったことにしてひそかに落ちのびた
※実際、一時期リチャードの後継者に指名されていたジョージの息子エドワードは一生ロンドン塔に幽閉され、リチャードの庶子(ジョン・オブ・グロスター)もリッチモンドに処刑されている
ちなみに子エドの世話係として一緒に王宮を去ったジェーンが「"新しい夫"までいただいてしまっては裏切れませんわ」と言って同伴していた男性は、史実ではリチャードの部下である法務長官(Solicitor General)トマス・ライノムThomas Lynom。
服役中だったジェーンは彼に見初められ再婚した
収録コミックス
■リチャード・オブ・イーストウェルRichard of Eastwell
先生が"この人"と思っている実在の人物、私は史実リチャードの庶子でボズワース後は王の息子であることを隠して"名も無きもの"としてひっそり生涯を終えたリチャード・オブ・イーストウェルではないかと推測している
本当の両親がだれか知らないままラテン語校長のもとに預けられていた彼は、ボズワース前に(当時16歳)父王と対面し、もし戦に勝てば彼を息子として認知する・負けたら永久に身分を隠して生きるようにと言われる
リチャードの敗戦後、逃亡した彼はレンガ職人の見習いに。その後は一介のレンガ職人としてケント州にあるイーストウェルマナーというお屋敷で働き、その地で1550年12月22日に生涯を閉じた
イーストウェルマナーの主人Sir Thomas Moyleは、リチャードが上流階級でなければ知るはずもないラテン語を解するのを知り、屋敷の敷地内にコテージを建てそこに住んでくれるよう頼んだ
このリチャードを、リチャード王の庶子とする説と、逃げのびた塔の中の二王子の弟リチャードであるという説がある
参考ウェブサイト
■イーストウェルマナーChampneys Eastwell Manor Spa & Hotel
Richard of Eastwellがレンガ職人として働いていたお屋敷は現在ラクシャリーなカントリーホテルになっている
所在地
Champneys Eastwell Manor Spa & Hotel
Eastwell Park, Ashford, England TN25 4HR
参考ウェブサイト
地図
■Eastwell Mews Cottages(Plantagenet’s Cottage)
リチャード・オブ・イーストウェル(Richard Plantagenet)が自分の家として建てたと言われるコテージも前述のホテルの一部となっている
所在地
Eastwell Mews Cottages
Eastwell Mews, Boughton Lees, Ashford TN25 4HR
地図
■リチャード・オブ・イーストウェル(Richard Plantagenet)が埋葬された教会
14世紀の教会の廃墟
リチャード・プランタジネットの名が記されたテーブル状のモニュメントはこの教会の敷地内にある
所在地
St Mary's Church
Eastwell, Ashford, England TN25 4JT
参考ウェブサイト
friendsoffriendlesschurches.org.uk
地図